2018年12月21日

マークダウンでの脚注(注釈)は標準サポート外

マークダウンでの脚注(注釈)の扱いについて

単なるメモ書きです。

マークダウンにおいて、標準の記法では「脚注(注釈)」はサポートされていない、とのこと。 QiitaやPandocではサポートされているらしいが、「独自拡張」とのこと。

実際、markdown-it v8.4.0 ではサポートされていなかった。あと、VSCodeのプレビューでもサポート外だね^1。単なるリンク(無効)としてしか、表示されなかった。

標準の範囲で、「脚注」をエミュレートする方法としては、こんな方法がある。

ほげほげ[^1](#1)ふがふが
<span id="1" style="font-size:x-small">1: 注釈の内容</span>

以下のページを参考にした^2

1: VSCodeのマークダウン・プレビューは、markdown-itを用いるらしい。

2: 参考にしたサイトの記法からは、少し変更してある。私自身はQiitaっぽい記法が「そのままプレーンテキストに見える」(諸説あり)ので、こうしてみた。

蛇足:Markdownの目指すもの、とは?

そのまま「プレーンテキスト」として扱われなければならない、と。 へー、知らんかったよ。

A Markdown-formatted document should be publishable as-is, as plain text, without looking like it's been marked up with tags or formatting instructions.

Markdownで書かれた文書はプレーンテキストとして、そのままの形で発行されるべきである。 しかし、タグや整形のための指示によってマークアップされているように見えてはならない。 -- John Gruber

言われてみれば確かに、「そのままテキストとして扱える」ってのが、 私がマークダウンを気に入った理由だったね、そういえば。

でもどこかで「HTMLを簡単に記述するため」という目的もあったような???

参考サイト

posted by ほしまど at 20:32| Comment(337) | メモ書き

2018年12月19日

同人誌を書く理由〜2年間を振り返り〜

これは、「技術同人誌 その2 Advent Calendar 2018」の19日目の記事です。

概要

ノリとイキオイで始めた同人活動が、気づけば初執筆から2年弱が経った。 最近は「なんのために同人誌を書いてるんだろう?執筆して、だから何だというんだろう?」と思うことが増えてきた。 でも、「やーめた」って思うわけではなくて、なんとなく「続けたい」かつ「続けたほうがハッピーになれる気がする」とも思っている。 その辺のもやもやの解消を目的に、この2年を振り返ってみる。



2年間の活動を振り返り

先ずはじめに、簡単に自分の活動を振り返る。

初めての寄稿が2016年の12月の冬コミ。ちょうどこの12月で2年か。

  • [C91] 初めてのAzure〜無料で始めるSQL Server とNode.js〜

    ※「Simple BLE〜素人がBLE モジュールを搭載した基板設計・ファームウエア開発・クライアント開発するのに必要だったことの全て〜」本へ寄稿。


そのあと、技術書典2〜5にてそれぞれ新刊頒布。

  • [tbf2] 初めてのAzureでNode.jsとSQL〜素人がSQL データベースへのRESTful API でのI/O を、Web 上で公開するまで〜
  • [tbf3] 初めてのWebアプリをAzureとNode.jsで〜素人がスマホ向けアプリを、ブラウザベースでWeb 上で簡単に公開するまで〜
  • [tbf4] テストで作ろう、初めてのAzureアプリ
  • [tbf5] ファイル処理スクリプトをJavaScript/TypeScript でTDD する〜Sinon.js でAPI のスタブ作成〜

それから、縁あって同人誌を底本にして2冊ほど商業出版。

  • Azure無料プランで作る!初めてのWebアプリケー ション開発
  • テスト駆動で作る!初めてのAzureアプリ

ほんの少しだけど、こちらにも書かせていただいた。

  • 技術同人誌を書こう! アウトプットのススメ

薄い本を2年で4冊。寄稿、製本版、コピー本、合同誌、即売会へサークル参加して頒布、他サークルにて委託頒布、増刷、ショップ委託販売、ネット通販委託、と振り返ってみれば一通りやってた。うん、同人誌作成は完全に理解した^1

1: 完全に理解した=チュートリアルを終えた。




同人誌を書く理由として聞えてくるもの。

一般に、「同人誌を書く/描く理由」として聞こえてくるのは次の3つだろうか^2

  1. 本を書きたいんじゃー!描きたいんじゃー!
  2. この技術(or この推し)を布教したい!
  3. 即売会のイベントに出るの、楽しい!

上記の3つは、「ふむ。確かにそれはある」とある程度は同意する。 でも、全力で肯定出来るわけじゃない^3。 一つずつ見てみる。

2: 他に「商業出版したい!売れたい!金儲けたい!」ってのもあるだろうけど、それは当方とはベクトルが異なるので、またの機会に。

3: もちろん、主となる理由は人それぞれ。Aに全力同意する人も居れば、Bに頷きまくりの人も居るだろう。私にはどれもクリティカルヒットはしないから、そのズレを検証しよう、ってのがこの記事の目的。




本を書きたいんじゃー!

表現したいものが身体の内から溢れて止まらないタイプの方の「書く理由」がコレかな。 自分の頭の中にだけあるものを、世の中に具現化したく仕方ない、そういう欲求が源泉になる方。本を書くことそのものが目的。

「山に登る理由?そこに山があるからだ」ってヤツ。

その情熱は素敵だなー、って思うけど、たぶん私の動機から一番遠い。 「山登り?んー、悪くは無いけど、私はあまり興味ないや」って思うので。




この推し技術を布教したい!

私はこの技術が好きなんだ、この技術を世の中に広めたい、仲間を増やしたい!って方の「書く理由」がコレかな。推しを布教する「手段」の1つとしての、薄い本の執筆。 同人誌を書く理由としては、一番多いのがこれじゃないだろうか?

「山に登る理由?私は××が見たいんだ、それには山登りが適してるんだ!」ってヤツ。

私の動機もコレ、、、だと思ってた。 でも1年ほどが過ぎたあたりから、なんか違うって思い始めた。 「なんか違う」は具体的には、そこまでソレ自体を私は推してるか?と疑問に思えてきたから。 熱が醒めてきた。「推し」ってのは、そんなに簡単に醒めるものではない、と思う。 だから「推しを布教したい!」は、少なくとも私の主な動機ではない、と思うようになった。 「○○を見に行かないかって? ○○は好きだけど、、、山に登ってまでは、遠慮するよ」って今はなってる。




即売会のイベントに出るの、楽しい!

同志たちと交流するのが楽しいんだ!皆で一緒に何かをするのは楽しいぞ!が「書く理由」の方も居るようだ。 仲間とコミュニケーションする場への「参加料」としての薄い本の執筆。

「山に登る理由?山頂で皆で『登ったね!』ってワイワイ打ち上げたいんだ!」ってヤツかな。

実は、この視点は次の記事を読んで気づいた。 「楽しむための通行料」(=参加料、と捉えた)という表現は面白い。

あまり自覚してなかったんだけど、「こういう本を書いたよ〜!」を 互いに持ち寄ってワイワイ交流するのは、確かに楽しい。 先日に、とある合同誌に参加して再認識にしたが、 「皆で書き上げる」という行為も、確かにワクワクした。

でも、それを原動力として書き続けられるかと言うと、、、たぶん足りない。 オマケとしてついてくるのは大歓迎。でもそれを主目的にするかと言うとNo。 「山頂で宴会? 楽しそうだけど、、、登るの大変だから遠慮するよ」って状況。

ちょいと、C95向け宣伝が通りますよ、と。

C95にて頒布予定の合同誌「ワンストップ見積もり本」に参加して、少しだけど書きました〜。 頒布場所は次です!




強くてニューゲーム、を仕掛けたいんだ!

3つの理由のどれも被る部分はあれど、「ソレだ!」って一致は見つからない。 でも振り返ってくる中で、とある欲求があったことに気づいた。 それは、 「ここが道かよ!だったら最初から示せ!つか、俺が示してやる!」 という欲求。 「こんにゃろー、こっちの道なら楽だったんじゃねーか!あの苦労はなんだったんだ。  二の舞を演じさせてたまるか!舗装して案内板を立ててやる!」 が、私が「このネタを書こう!」って思ったときの理由に一番近いと思う。

  • AzureのWeb Appの設定方法が(当時)どこにも書いてない!
  • 細けぇーことはいいから、Azure SQLの設定方法の必要最小限が知りたいんだよ!
  • 細けぇーことはいいから、お手軽にデータ記録できるWebアプリを作って公開したい!
  • テストフレームワークとモックの組み合わせ、よく分からん。とりあえず動かす方法を教えろ!

どれもこれも、当時に「記事が見当たらん^4。分厚い本はあるけど、チュートリアルはどこだ?」で困ったヤツ。だから、道案内の目的に薄い本を書いた。

もちろん自分自身が「強くてニューゲーム」出来たら一番良いけど、それは一般に叶わない。。その代わりに、自分が苦労した敵を他の人たちが楽々倒すのを見て(妄想して)、 自分が強くてニューゲームをした錯覚に陥る、、、ことが目的な気がした。

実際に、しばらくその「ネタ」をしばらく離れた後に自分の書いた薄い本を読んで、 「あー、そうそう、○○は××すると楽だったんだ」って用途に使えた。 なので、「当時にこういう本があればよかったのに!」は達成出来てたと思う。

苦労すること自体に価値は無くて、「現状では、苦労せざるを得ない」だけ、と私は思っている。 「こうやると、苦労せずに手にできますよ」って知見がどんどん増えてほしい。広まってほしい。 自分が手にしたいけど叶わないから、誰かが手にすることで代替して 「この社会の苦労を1つ潰してやったぜ!ざまーみろ!」って 満足感を得ている気がする。

4: 本当に無かったか、は分からない。でも私は辿り着けなかった。




薄い本じゃなくても良いんじゃない?

私が薄い本を書く理由が「同じ苦労の繰り返しを打破したい!知見を共有したい」 であるなら、「薄い本で無くてもよいのでは?ブログでも良いのでは?Twitterでも良いのでは?」 という疑問が湧いてくる。

それはその通り。 この「薄い本でなくても、かまわないのでは?」は、「推しを布教したい」に対しても 同じ問い掛けができると思う。 この問い掛けに対する答えとしては、高橋さんの次のツイートが「ソレだ!」って腑に落ちた。

同人誌を書かななくとも、ブログで十分なことも多いと思う。 でも「ブログだと上手くまとめられんのだ」と感じるネタもある。 そういうときに「太い帯域と高い解像度」を確保できる同人誌が選択肢になる。 そういうネタを偶々ここ2年は手にしたので、同人誌の執筆に縁があった。

ところで、そういうネタが継続する必然性は無い。 あれ?ってことは、今後に同人活動をする理由って、実は私には無い?




同人誌即売会は知見のアトラクター

そもそも論として、 「苦労の打破に至るとは限らない。なんとか辿り着いたけど、楽な道は見つからなかった」 ってことだって多い。 つまり、「書こう!」ってネタの供給は不安定。

けれども。 どこか「書き続けたいなぁ」と思っている自分が居る、気がする。 それは何を欲しているんだろう? 考えているんだけど、実はまだ結論が出ていない。

今の時点で「これかな?」と思っているのは、 「同人誌即売会では、自分が気になっている知見に触れる事が出来る、集まってくる」 こと。 これは、途切れた過去の活動(フリーソフトを作ったり、ブログを書いたり、勉強会に参加したり)と 大きく違う点に感じている。

もちろん、ブログや本屋でも「知見に触れる」こと、それを手に入れることはできる。だけど、「自分から取りに行く」必要がある。 リアルの周囲で、同じ物事について困っていて「打開しよう!」って仲間がいれば素敵だけど、 居るとは限らない。 自分一人で探し回って手に入る量と質には、たかが知れている^5。 手が届かない。リソースが足りない。間に合わない。

でも同人誌即売会では、「知見の方から集まってくる」。 リアルで薄い本を通して、著者と会話して手に入れたほうが、帯域が太いし解像度が高い。 そして、同人誌を頒布することは「こういう部分に、私は興味がある!欲している!」を 分り易く明確に広く示すこと、に等しい。 同人誌を書くなかで、自然と起承転結にまとまる。他の人からみて「求めているもの」が分かり易くなる。 すると、同じように「探している」人たちが「私の場合は、こういう方法を見つけたよ!」 って寄ってきてくれる。そこが「楽しい」のかな、と思う。

5: もちろん、一人で十分な量を見つけ出せる創り出せる方々も居るけど。




小さな内容でもイイから、薄い本を書いていこう

そうだった。「知見が集まってくる」ってのは、好きだったんだ。 大学生時代の楽しさの本質って、これだったのかもしれない。 「書こう!」ってネタに出会えるかは運次第だけど、書いてないと書き方を忘れそう。何が「楽しい」のか忘れそう(実際、忘れた、気がする)。 内容を小さくすれば、出会える確率は上がるんじゃないかな。 薄いー本だって、いい。合同誌への参加だってアリだ。

「小さくても、書く。書けば、即売会に出れる。すると、知見が集まってきてくれる。きっと楽しいよ」

せっかく「即売会」が定期開催されてるんだ、小さくても書き続けていこう。




P.S. 「薄い本」と「同人誌」の揺れを残しているはわざと。薄い本が好きなんだ。

posted by ほしまど at 23:39| Comment(0) | 日記