これは、「技術同人誌 その2 Advent Calendar 2018」の19日目の記事です。
概要
ノリとイキオイで始めた同人活動が、気づけば初執筆から2年弱が経った。
最近は「なんのために同人誌を書いてるんだろう?執筆して、だから何だというんだろう?」と思うことが増えてきた。
でも、「やーめた」って思うわけではなくて、なんとなく「続けたい」かつ「続けたほうがハッピーになれる気がする」とも思っている。
その辺のもやもやの解消を目的に、この2年を振り返ってみる。
2年間の活動を振り返り
先ずはじめに、簡単に自分の活動を振り返る。
初めての寄稿が2016年の12月の冬コミ。ちょうどこの12月で2年か。
そのあと、技術書典2〜5にてそれぞれ新刊頒布。
- [tbf2] 初めてのAzureでNode.jsとSQL〜素人がSQL データベースへのRESTful API でのI/O を、Web 上で公開するまで〜
- [tbf3] 初めてのWebアプリをAzureとNode.jsで〜素人がスマホ向けアプリを、ブラウザベースでWeb 上で簡単に公開するまで〜
- [tbf4] テストで作ろう、初めてのAzureアプリ
- [tbf5] ファイル処理スクリプトをJavaScript/TypeScript でTDD する〜Sinon.js でAPI のスタブ作成〜
それから、縁あって同人誌を底本にして2冊ほど商業出版。
- Azure無料プランで作る!初めてのWebアプリケー ション開発
- テスト駆動で作る!初めてのAzureアプリ
ほんの少しだけど、こちらにも書かせていただいた。
薄い本を2年で4冊。寄稿、製本版、コピー本、合同誌、即売会へサークル参加して頒布、他サークルにて委託頒布、増刷、ショップ委託販売、ネット通販委託、と振り返ってみれば一通りやってた。うん、同人誌作成は完全に理解した^1。
1: 完全に理解した=チュートリアルを終えた。
同人誌を書く理由として聞えてくるもの。
一般に、「同人誌を書く/描く理由」として聞こえてくるのは次の3つだろうか^2。
- 本を書きたいんじゃー!描きたいんじゃー!
- この技術(or この推し)を布教したい!
- 即売会のイベントに出るの、楽しい!
上記の3つは、「ふむ。確かにそれはある」とある程度は同意する。
でも、全力で肯定出来るわけじゃない^3。
一つずつ見てみる。
2: 他に「商業出版したい!売れたい!金儲けたい!」ってのもあるだろうけど、それは当方とはベクトルが異なるので、またの機会に。
3: もちろん、主となる理由は人それぞれ。Aに全力同意する人も居れば、Bに頷きまくりの人も居るだろう。私にはどれもクリティカルヒットはしないから、そのズレを検証しよう、ってのがこの記事の目的。
本を書きたいんじゃー!
表現したいものが身体の内から溢れて止まらないタイプの方の「書く理由」がコレかな。
自分の頭の中にだけあるものを、世の中に具現化したく仕方ない、そういう欲求が源泉になる方。本を書くことそのものが目的。
「山に登る理由?そこに山があるからだ」ってヤツ。
その情熱は素敵だなー、って思うけど、たぶん私の動機から一番遠い。
「山登り?んー、悪くは無いけど、私はあまり興味ないや」って思うので。
この推し技術を布教したい!
私はこの技術が好きなんだ、この技術を世の中に広めたい、仲間を増やしたい!って方の「書く理由」がコレかな。推しを布教する「手段」の1つとしての、薄い本の執筆。
同人誌を書く理由としては、一番多いのがこれじゃないだろうか?
「山に登る理由?私は××が見たいんだ、それには山登りが適してるんだ!」ってヤツ。
私の動機もコレ、、、だと思ってた。
でも1年ほどが過ぎたあたりから、なんか違うって思い始めた。
「なんか違う」は具体的には、そこまでソレ自体を私は推してるか?と疑問に思えてきたから。
熱が醒めてきた。「推し」ってのは、そんなに簡単に醒めるものではない、と思う。
だから「推しを布教したい!」は、少なくとも私の主な動機ではない、と思うようになった。
「○○を見に行かないかって? ○○は好きだけど、、、山に登ってまでは、遠慮するよ」って今はなってる。
即売会のイベントに出るの、楽しい!
同志たちと交流するのが楽しいんだ!皆で一緒に何かをするのは楽しいぞ!が「書く理由」の方も居るようだ。
仲間とコミュニケーションする場への「参加料」としての薄い本の執筆。
「山に登る理由?山頂で皆で『登ったね!』ってワイワイ打ち上げたいんだ!」ってヤツかな。
実は、この視点は次の記事を読んで気づいた。
「楽しむための通行料」(=参加料、と捉えた)という表現は面白い。
あまり自覚してなかったんだけど、「こういう本を書いたよ〜!」を
互いに持ち寄ってワイワイ交流するのは、確かに楽しい。
先日に、とある合同誌に参加して再認識にしたが、
「皆で書き上げる」という行為も、確かにワクワクした。
でも、それを原動力として書き続けられるかと言うと、、、たぶん足りない。
オマケとしてついてくるのは大歓迎。でもそれを主目的にするかと言うとNo。
「山頂で宴会? 楽しそうだけど、、、登るの大変だから遠慮するよ」って状況。
ちょいと、C95向け宣伝が通りますよ、と。
C95にて頒布予定の合同誌「ワンストップ見積もり本」に参加して、少しだけど書きました〜。
頒布場所は次です!
強くてニューゲーム、を仕掛けたいんだ!
3つの理由のどれも被る部分はあれど、「ソレだ!」って一致は見つからない。
でも振り返ってくる中で、とある欲求があったことに気づいた。
それは、
「ここが道かよ!だったら最初から示せ!つか、俺が示してやる!」
という欲求。
「こんにゃろー、こっちの道なら楽だったんじゃねーか!あの苦労はなんだったんだ。
二の舞を演じさせてたまるか!舗装して案内板を立ててやる!」
が、私が「このネタを書こう!」って思ったときの理由に一番近いと思う。
- AzureのWeb Appの設定方法が(当時)どこにも書いてない!
- 細けぇーことはいいから、Azure SQLの設定方法の必要最小限が知りたいんだよ!
- 細けぇーことはいいから、お手軽にデータ記録できるWebアプリを作って公開したい!
- テストフレームワークとモックの組み合わせ、よく分からん。とりあえず動かす方法を教えろ!
どれもこれも、当時に「記事が見当たらん^4。分厚い本はあるけど、チュートリアルはどこだ?」で困ったヤツ。だから、道案内の目的に薄い本を書いた。
もちろん自分自身が「強くてニューゲーム」出来たら一番良いけど、それは一般に叶わない。。その代わりに、自分が苦労した敵を他の人たちが楽々倒すのを見て(妄想して)、
自分が強くてニューゲームをした錯覚に陥る、、、ことが目的な気がした。
実際に、しばらくその「ネタ」をしばらく離れた後に自分の書いた薄い本を読んで、
「あー、そうそう、○○は××すると楽だったんだ」って用途に使えた。
なので、「当時にこういう本があればよかったのに!」は達成出来てたと思う。
苦労すること自体に価値は無くて、「現状では、苦労せざるを得ない」だけ、と私は思っている。
「こうやると、苦労せずに手にできますよ」って知見がどんどん増えてほしい。広まってほしい。
自分が手にしたいけど叶わないから、誰かが手にすることで代替して
「この社会の苦労を1つ潰してやったぜ!ざまーみろ!」って
満足感を得ている気がする。
4: 本当に無かったか、は分からない。でも私は辿り着けなかった。
薄い本じゃなくても良いんじゃない?
私が薄い本を書く理由が「同じ苦労の繰り返しを打破したい!知見を共有したい」
であるなら、「薄い本で無くてもよいのでは?ブログでも良いのでは?Twitterでも良いのでは?」
という疑問が湧いてくる。
それはその通り。
この「薄い本でなくても、かまわないのでは?」は、「推しを布教したい」に対しても
同じ問い掛けができると思う。
この問い掛けに対する答えとしては、高橋さんの次のツイートが「ソレだ!」って腑に落ちた。
同人誌を書かななくとも、ブログで十分なことも多いと思う。
でも「ブログだと上手くまとめられんのだ」と感じるネタもある。
そういうときに「太い帯域と高い解像度」を確保できる同人誌が選択肢になる。
そういうネタを偶々ここ2年は手にしたので、同人誌の執筆に縁があった。
ところで、そういうネタが継続する必然性は無い。
あれ?ってことは、今後に同人活動をする理由って、実は私には無い?
同人誌即売会は知見のアトラクター
そもそも論として、
「苦労の打破に至るとは限らない。なんとか辿り着いたけど、楽な道は見つからなかった」
ってことだって多い。
つまり、「書こう!」ってネタの供給は不安定。
けれども。
どこか「書き続けたいなぁ」と思っている自分が居る、気がする。
それは何を欲しているんだろう?
考えているんだけど、実はまだ結論が出ていない。
今の時点で「これかな?」と思っているのは、
「同人誌即売会では、自分が気になっている知見に触れる事が出来る、集まってくる」
こと。
これは、途切れた過去の活動(フリーソフトを作ったり、ブログを書いたり、勉強会に参加したり)と
大きく違う点に感じている。
もちろん、ブログや本屋でも「知見に触れる」こと、それを手に入れることはできる。だけど、「自分から取りに行く」必要がある。
リアルの周囲で、同じ物事について困っていて「打開しよう!」って仲間がいれば素敵だけど、
居るとは限らない。
自分一人で探し回って手に入る量と質には、たかが知れている^5。
手が届かない。リソースが足りない。間に合わない。
でも同人誌即売会では、「知見の方から集まってくる」。
リアルで薄い本を通して、著者と会話して手に入れたほうが、帯域が太いし解像度が高い。
そして、同人誌を頒布することは「こういう部分に、私は興味がある!欲している!」を
分り易く明確に広く示すこと、に等しい。
同人誌を書くなかで、自然と起承転結にまとまる。他の人からみて「求めているもの」が分かり易くなる。
すると、同じように「探している」人たちが「私の場合は、こういう方法を見つけたよ!」
って寄ってきてくれる。そこが「楽しい」のかな、と思う。
5: もちろん、一人で十分な量を見つけ出せる創り出せる方々も居るけど。
小さな内容でもイイから、薄い本を書いていこう
そうだった。「知見が集まってくる」ってのは、好きだったんだ。
大学生時代の楽しさの本質って、これだったのかもしれない。
「書こう!」ってネタに出会えるかは運次第だけど、書いてないと書き方を忘れそう。何が「楽しい」のか忘れそう(実際、忘れた、気がする)。
内容を小さくすれば、出会える確率は上がるんじゃないかな。
薄いー本だって、いい。合同誌への参加だってアリだ。
「小さくても、書く。書けば、即売会に出れる。すると、知見が集まってきてくれる。きっと楽しいよ」
せっかく「即売会」が定期開催されてるんだ、小さくても書き続けていこう。
P.S. 「薄い本」と「同人誌」の揺れを残しているはわざと。薄い本が好きなんだ。